幸福には進歩がない

大学の合間を縫って生活のためのはした金を稼ぎながらふとしたときに細切れの思考、思考、思考、を繰り返し繰り返し、そうして今日、ふと、出た結論が「幸福には進歩がない」だなんてあんまりだよ、と思いつつもあー私らしいなってやっぱり納得。
ベビーカーを押す退屈とか憂鬱とか考えたくもない。私が抱える家庭に対するコンプレックスの大きさが大人になるたびぐんぐんわかってきて、与えられた思想とそれに合わない内面で苦悩し続けてきたから、とにかく本を読んだ。生きてく上で私に必要な思想ってなんだろう、ここでいう思想ってなにも学生運動とか宗教とか戦争的なアレではなくて、ただ、「生きていく上での指針」それだけなのです。いつも「如何に生くべきか」って考え続けてモラトリアムを燃やし尽くそう。

つかの間の安定でした。なんだかもう厭きました。
幸福のぬるま湯では、頭のなかがちっとも発展しない。

1年前の今頃大学の合間を縫ってひどく馬鹿らしい仕事をしてた。心も身体も売ってないけど、やっぱりやっぱりつらかった。だらしがなかった。
過去を消し去りたいだとかあの頃の私は私じゃなかったとか、そうやって忌み嫌って逃げたがったりもしたけれど、私は私なのだ。ちゃあんと傷ついている。純粋だから、傷つくのだ。いつの日々も純粋さを欠いたことのない、愛しい私がいるではないか。

許されたいとか許せないとか面倒だからふわりとしてたいなあ、感情ってないと困るけどありすぎるとみっともない。