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炊き出し不動尊と大晦日

大晦日の思い出について語る。

 

毎年大晦日に、蛸薬師堂で大根炊きがあるのをみなさん、ご存知だろうか?

四条通を起点に始まる新京極商店街を北に二本上がって右手にあるのが、蛸薬師堂永福寺である。普通の店と店との間に「蛸薬師如来」と書かれた赤いのぼりや提灯がひしめいている外観はちょっぴり異様だ。そこで毎年大晦日に、温かい大根の炊き出しがある。食べれば家内安全無病息災、楽しく元気な一年を迎えられるという。

 

仕事が無事に納まった翌日、大晦日の朝である。年末らしく部屋の掃除をしていたら、電話が鳴った。

「オウ、おれだよ。元気か。」

「お久しぶりです。ちょっぴり風邪を引いとりますが、おおむね良好です。」

「そうかそうか。ところで今日は大晦日だ。あれにいこう。ほら、あれだよ、えーと、炊き出し不動尊。あったかい大根を食べれば、風邪もてきめんに治るさ。日が沈む頃、鐘の前で待ってる。」

もちろん炊き出し不動尊なんていうのは京都のどこにもない。大方、大阪にある滝谷不動尊とごっちゃになっているのだろう。よくよく話を聞いたらはたして蛸薬師堂のことらしかった。特に用事もないので二つ返事で誘いに乗り、電話を切った。ちょうどいいのでここでは彼を炊き出し不動様と呼ぶことにする。

 

日が沈む頃、蛸薬師堂前に集まった。炊き出し不動様は向かいの店先のまんじゅうを見ながら懐手してボンヤリしていた。入り口で鐘を撞いてから門をくぐると、すぐ左手の大きな鍋に、輪切りの大根とおあげさんがいっぱい、豪快に湯気を立てながら煮えくり返っている。大きなかごにささやかなお布施を投げ入れると、スチロールの皿に大根ふた切れとおあげさんをひと切れ、それから出汁をたっぷり入れてもらって受け取った。冷えた手に器がとても温かくて、実にうまそうな匂いがした。

阿弥陀堂の参道はトタンの屋根で覆われており、蛸薬師如来の赤いのぼりが所狭しと並んでいる。いたるところにいろんな色の風ぐるまがさしてあり、木の壁にはなにやら教訓めいた文句が紙に書かれてベタベタと貼ってある。実際ここはずいぶん怪しいのだ。私たちはストーブの前に腰かけて、箸を割った。炊き出し不動様はおおきな大根を頬張ると、「あちっ、あちっ」と言いながら、口から大量の湯気を吐き出した。私も大根をかじった。

「うまい!」

「うん、うまい! これで厄はごっそり根こそぎ落ちた。無病息災、千客万来、長楽萬年というわけだ。2017年はぶじ安泰。めでたいね。」

出汁は味噌汁に似ていて、少し濃いめの味つけが大根にもおあげさんにもしっかりと染みてい

て本当においしい。底冷えのする大晦日の夜だが、お腹の底からぽっかりと温かい。私たちはあっという間に全部飲み込んでしまうと出汁まで丹念に味わい、ほうっと口から湯気を吐き、たいへん満ち足りた気持ちでお参りをしてから寺を出た。まっすぐ進んで寺町通に出たあと、北へと歩き出す。

 

炊き出し不動様は目を細めて言う。

「年末というのは、いいね。なんでも許してしまおうという気持ちになるね。年末だから、っていう言い訳はなにかと便利だし、うまいものがいつも以上にたくさん食える。人々も心なしか、いつもよりニコニコ顔だ。」

 「おっしゃる通り。年末万歳!」

「仕事もないし、存分、寝正月だな。」

「けれどもたったの4日しか休みがないのです。今日を抜いたらあと3日だ。うんと注意を払わないと、すぐに終わってしまいます」

「いや、考えてみろ。ふだんの休みは週に2連休しかないだろ。つまり、今回は2倍だ!」

「本当ですね、超オトク!」

 

いささか単純すぎることは否定できないが、私たちはちょっぴり明るい気分で通りを歩いた。通りの突き当たり、遠くの方にかに道楽の大きな蟹がゆっくりとハサミを上下させているのが見える。

 

炊き出し不動様がニコニコ顔でおっしゃるにはこうだ。

「きみ、ぜんぶぜんぶ気の持ちようだよ。主観的世界をいかにいいものにするか、全てはそこにかかっている。」

 「そうですね。いくらあがいたって4日からまた仕事である事実は変わらないのだ。」

「仕事は今、なにをしてる?」
「世界のようすを、注意して、ジッと観察しています。そして、これから一体どうするべきなのかをよくよく考えるのです。」

「よろしい。おれからの忠告はひとつだ。うんと頭でっかちになりなさい。ここでいう頭でっかちというのはつまり、経験より知識のほうが多いということだ。きみは若いから、知識をうんとため込まねばならん。カラッカラのスポンジは水をよく吸い込むだろう? それによく似ているね。しかしなにより大切なのは経験だ。社会において知識というのは、自由自在かつ有意義に使いこなせなけりゃ、意味がないのだ。本当の意味での実践というのは、 通常学生さんにはできんことだよ。いずれはみんな順番が回ってくるんだ。きみも残念ながら大学を卒業して、もう大人だ。順番が回ってきたからには腹を括って、しっかり鍛錬しなさい。」 
 「そうですね。観念して、鍛錬します。」

 

その日、 炊き出し不動様は、なんだかいつにもまして饒舌だった。かに道楽に突き当たると、三条通商店街をボンヤリ歩きながら話を続けた。

「きみ、大人になったら、生活を自分の力で組み立てていくためにある程度の時間を売ることは仕方がない。けれども、自分の心の豊かな部分まで売ってしまうのは悲しいことだよ。いいかい? 社会というのは、真面目な人間や繊細な人間ほど損をするようにできている。なにごとも半分くらいで聞きなさい。あまり気にしすぎるなよ。それから、何があってもどしんと構えていなさい。いついかなるときでもそこに「いる」というだけでずいぶん役割が果たせるというものだ。わけもなくどっしり構えて、頰の端にいつでもちょっぴり笑みをたたえていると尚更いい。人は、そういう人間には一目置くし信用もする。器をうんと大きくしなきゃいかんよ」

「今日は一段と含蓄があります。」

「おれはいつだって含蓄だらけだ。この腹にはね、含蓄が詰まってるんだ。」

 そう言って炊き出し不動様は突き出たお腹をぽんと叩いた。

「それにしても、2016年はいいのかそうでないのか、いまいちよくわからない一年だったなあ……。」

いろいろあった 2016年ももうあと数時間でお終いだ。来年もみんながなんだかんだ元気で、時々集まってはうまいものを食べながらくだらない昔話ができるといいなと思った。

 

地に足をつけるのはたいへん難しい。

しかし、今年24になる。今はまだ、なにがなんでも地に足つけて、日々鍛錬をしていこうと思うのだ。

私たちはいつものように六曜社に入り、珈琲啜ってから寒空の下を家路についた。